一番の防御は「自分を強くする」こと―悪魔祓いから考える「守り」の話

こんにちは。御統いつきです。

突然ですが、

皆さんは「悪魔祓い」と聞くと、何を思い浮かべますか?

十字架。
聖書。
聖水。

そして、

映画『エクソシスト』のような、少し怖い光景。

「悪魔祓い」という言葉には、
どうしてもホラーのイメージがつきまといます。

今回は「黒魔術の世界」シリーズ第3弾として、

「悪魔祓い」というテーマから、
「防御する」ということについて考えてみたいと思います。

怖い話が苦手な方は、ここでそっと閉じても大丈夫です。

でも、

「魔術って、どうやって自分を守るんだろう?」
「お守りや防御術って、本当に大切なの?」

そんなことに興味がある方には、
ぜひ最後まで読んでいただけたらと思います。

悪魔祓いは「追い払う」だけではない

悪魔祓い。

キリスト教では「エクソシズム」とも呼ばれます。

映画などでは、

聖職者が十字架を掲げ、
聖書を読み、聖水を使って悪魔に立ち向かう・・・

という場面が印象的ですよね。

実際の悪魔祓いの儀式には、
宗派や教会、状況によってさまざまな違いがあります。

ここでは細かな手順よりも、
ひとつの考え方に注目してみたいと思います。

それは、

「自分より強いものに対抗するとき、
自分自身の支えが必要になる」

ということです。

キリスト教の悪魔祓いでは、
神の力をよりどころにして悪に立ち向かいます。

十字架や聖書、聖水なども重要な象徴です。

でも、それらを持っていれば誰でも簡単にできる、
という話ではありません。

祈り続ける力。
恐怖に飲み込まれない精神力。
長時間にわたって向き合う忍耐力。

そして、

最後まで役割を果たす体力。

そういったものも必要になります。

つまり、

「外側にある道具」だけではなく、
「使う人自身の強さ」も大切なのです。

私は、ここが魔術における「防御」を考えるうえで、
とても重要なところだと思っています。

お守りを持っているのに、不安になるのはなぜ?

魔術やスピリチュアルなことに興味がある方なら、

「防御のお守りを持っています」
「浄化のアイテムを使っています」

という方もいると思います。

もちろん、
そうしたものを大切にするのは悪いことではありません。

私自身も、
道具や象徴には意味があると考えています。

ただ、時々気になることがあります。

それは、

「守ってもらわなきゃ」

という気持ちが強くなりすぎてしまうこと。

「これを持っていないと怖い」
「この場所に行ったら何かついてきそう」
「防御しているのに、まだ不安」

そんな状態になってしまうと、

せっかくの防御が「安心するためのもの」ではなく、
「不安を増やすもの」になってしまいます。

それでは、少し苦しいですよね。

防御より先に「自分を整える」

魔術の世界では、
さまざまな防御の方法が考えられています。

お守り。
護符。

浄化。
結界。

防御術。

いろいろな考え方があります。

でも、私はその前に
ひとつ考えてほしいことがあります。

それは、

「今の自分は、ちゃんと休めていますか?」

ということです。

寝不足ではありませんか?
食事をちゃんと取っていますか?

ずっと緊張していませんか?
誰かに気を遣い続けていませんか?

自分の時間を持てていますか?
嫌なことを我慢し続けていませんか?

こういう話をすると、

「魔術の話なのに、急に現実的になった」

と思うかもしれません(笑)

でも、ここがすごく大事なのです。

弱っているときは、何でも怖く見える

人間は、疲れているときほど不安になりやすいものです。

普段なら気にならない一言が、妙に刺さる。

ちょっとした出来事を悪い方向に考えてしまう。

誰かの機嫌が悪いだけなのに、
「私、何かしたかな?」と気になってしまう。

静かな夜に、普段なら気にしない物音が怖くなる。

そういうことってありませんか?

もちろん、
これは「霊的な影響がある」という話だけとは限りません。

疲労やストレスによって、
私たちの心身の状態が変わることはあります。

だからこそ、

まず自分を回復させる。

これは、とても大切な「守り」なのだと思います。

「防御」と「回復」はセット

魔術的な考え方では、

「外から来るものを防ぐ」

という発想に目が向きがちです。

でも、それだけではありません。

私は、

防御することと、回復することはセット

だと考えています。

たとえば、
ずっと盾を構えている人を想像してみてください。

朝から晩まで盾を持って、
「何か来るかもしれない」と警戒し続けていたら、

敵が現れる前に疲れてしまいます。

それよりも、

必要なときには守る。
安全な場所では盾を下ろす。

休む。
食べる。

眠る。
好きなことをする。

そして、また必要なときに立ち上がる。

そのほうがずっと健やかです。

これは魔術に限らず、
日常生活でも同じではないでしょうか。

本当の「強さ」は、ずっと戦えることではない

「自分を強くする」というと、

何があっても動じない。
絶対に傷つかない。
何でも跳ね返せる。

そんなイメージを持つかもしれません。

でも、私は少し違うと思っています。

本当の強さとは、

「弱ったら、ちゃんと回復できること」

なのではないでしょうか。

疲れたら休む。
傷ついたら距離を取る。

嫌な場所から離れる。
助けが必要なら誰かに頼る。

自分の限界を認める。

そして、また少しずつ戻ってくる。

それも立派な「防御」です。

むしろ、

「私は絶対に大丈夫」と無理をし続けるより、
「今の私はちょっと弱っているな」と気づけるほうが、

自分を守ることにつながると思います。

道具は「自分を強くするため」に使う

では、お守りや魔術的な道具には意味がないのでしょうか?

私は、そうは思いません。

むしろ、道具はとても面白いものです。

ただ、

「道具に全部やってもらう」

のではなく、

「自分を整えるために道具を使う」

という意識が大切なのだと思います。

たとえば、お守りを持つ。

それを見たときに、
「大丈夫」と思える。

深呼吸する。
気持ちを落ち着ける。
自分の中心に戻る。

そうやって、
自分の状態を整えるきっかけにする。

そう考えると、
お守りは単なる「何か怖いものを防いでくれる物」ではなく、

「自分の心を整えるためのスイッチ」

にもなります。

「防御しなきゃ」から「私は大丈夫」へ

私は、魔術における防御の最終地点は、

「何かから必死に身を守ること」

ではないと思っています。

むしろ、

「私は大丈夫」

と思える状態に近づいていくこと。

何か嫌なことがあっても、

「今日は疲れているから、早く寝よう」

と思える。

嫌な人に会っても、

「この人の感情まで、私が背負わなくていい」

と思える。

不安になったときも、

「今ちょっと弱っているだけかもしれない」

と、一歩引いて自分を見られる。

そうなってくると、
以前ほど「何かから守らなければ」と思わなくなるかもしれません。

いちばん身近な防御は、意外と地味

結局のところ、

ちゃんと眠る。
ちゃんと食べる。

身体を温める。
好きなものを見る。

嫌なことから距離を取る。
部屋を掃除する。

ひとりになる時間をつくる。
信頼できる人と話す。

自然の中を歩く。

こういう、
一見すると魔術とは関係なさそうなことが、

実は自分を守るための大切な土台になります。

そして、必要であれば、
その上にお守りや護符、儀式などを重ねていく。

自分を守るために、「強くならなくてもいい」

ここまでは、
「自分を強くする」と書いてきました。

でも、誤解しないでほしいことがあります。

強くなるというのは、

傷つかない人になることではありません。

疲れない人になることでもありません。

誰にも頼らない人になることでもありません。

むしろ、

「自分が弱ることを許せる」

ことも強さのひとつです。

今日はもう無理だな、と思ったら休む。
嫌なものは嫌だと言う。

怖いときは怖いと言う。
助けてほしいときは助けを求める。

そうやって自分を守っていく。

それだけでも、
人は少しずつ自分の力を取り戻していけます。

魔術の「防御」は、人生を怖くするためのものではない

悪魔祓いというと、

「怖いものから身を守る」

というイメージが強いと思います。

でも、私が魔術を学んでいて面白いと思うのは、
その先にあるものです。

防御の目的は、

ずっと怖がっていることではありません。

安心して生きること。
自分の人生を、自分の足で歩くこと。

そして、

「私は私の人生を大切にしていい」

と思えること。

だから私は、

「何か怖いものが来るかもしれないから、防御しなくちゃ」

というより、

「私は自分を大切にする。そのために必要なものを使おう」

くらいの感覚でいいと思っています。

お守りを持ってもいい。
儀式をしてもいい。

好きな香りを焚いてもいい。
神社やお寺にお参りしてもいい。

何もしなくてもいい。

大切なのは、

「自分を守ってあげよう」

と思えること。

結局、自分を守る力の土台になるのは、
自分自身との関係なのかもしれません。

怖いものから逃げるためではなく、
安心して自分の人生を生きるために。

そのために、
自分を整え、必要なときには自分を守る。

それが、
魔術における「防御」なのだと思います。

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