
こんにちは。御統いつきです。
先日、突然、
「デウス・エクス・マキナ(Deus ex Machina)」
という言葉が頭に浮かびました。
なんだか仰々しい言葉ですよね。
でも、この言葉について考えているうちに、
「これって、
今のスピリチュアル界にも当てはまるんじゃない?」
と思ったのです。
今回は少々辛口です。
スピリチュアルそのものを否定するつもりはありません。
むしろ私は、
神様や天使、魔術、オカルトといった
目に見えない世界を長く探究してきたからこそ、
「そこを履き違えないほうがいいんじゃない?」
と思っています。
もし耳の痛い話が苦手な方は、
ここでそっと閉じてください。
「デウス・エクス・マキナ」って何?
まず、
「デウス・エクス・マキナ(Deus ex Machina)」
という言葉について。
これはラテン語で、
「機械仕掛けの神」
という意味です。
古代の演劇では、
物語がどうにも収拾できなくなったとき、
機械仕掛けで神様役の人物を舞台に登場させ、
神様の力で一気に問題を解決する、
という演出があったそうです。
つまり、
「もう人間にはどうにもできません!」
となったところに、
神様登場!
そして、
全部解決!
という展開です。
現代風に言えば、
「人生詰んだ!」
↓
「宇宙にお願いしたら、なぜか全部うまくいった!」
みたいな感じでしょうか。
・・・まあ、物語としては面白い。
でも、
これを自分の人生に持ち込んだら、ちょっと危険です。
神様は「あなたの人生の主人公」ではない
スピリチュアルでは、
「神様にお願いしましょう」
「天使に委ねましょう」
「宇宙にお任せしましょう」
という言葉をよく見かけます。
祈ること自体は、私は悪いことだと思いません。
人間には、
自分一人ではどうにもできないことがあります。
どれだけ考えても答えが出ない。
どれだけ努力しても状況が動かない。
そんなときに、
「どうか力を貸してください」
と神様に祈る。
それは、とても自然なことだと思います。
問題は、その先です。
「神様にお願いしたから、
あとは神様が何とかしてくれる」
となってしまったら、話が変わってきます。
だって、それでは自分の人生なのに、
自分が主人公ではなくなってしまうから。
「お任せ」と「丸投げ」は違う
ここは、かなり大事なところです。
私は、
「神様に委ねること」と
「神様に丸投げすること」は全然違う
と思っています。
例えば、
「私はこう生きたい」
という願いがある。
でも、自分一人では難しい。
だから、
「どうか力を貸してください」
と祈る。
そして、自分でもできることをやる。
必要なら方向転換する。
失敗したら考え直す。
また一歩進む。
これは「委ねる」だと思います。
一方で、
「私は何をしたいのか分かりません」
「神様が決めてください」
「いつ動けばいいか教えてください」
「この人と結婚すべきですか?」
「転職したほうがいいですか?」
「この仕事をやるべきですか?」
と、人生の意思決定を全部外部に預けてしまう。
これは、かなり危うい。
だって、
あなたの人生を生きるのは、
神様ではなくあなた自身だからです。
神様はカーナビ。でも目的地まで決めない
私は、神様や天使などの霊的存在を、
カーナビ
のようなものだと考えると分かりやすいと思っています。
たとえば、
あなたが東京ディズニーシーへ行きたいとします。
カーナビに目的地を入力すれば、
「次の交差点を右です」
「この先、渋滞しています」
「別ルートを案内します」
などと教えてくれます。
でも、
「今日は東京ディズニーシーに行きたくないので、
富士山にしてください」
なんて勝手に目的地を変更するわけではありません。
目的地を決めるのは、あくまであなたです。
神様や天使も、それに近いのではないでしょうか。
「どこへ行きたいのか」を決めるのは自分。
そのうえで、
「どうすれば、そこへ近づけるのか」
を考えるときに、
祈ったり、瞑想したり、魔術やおまじないをしたりする。
私は、そのくらいの距離感がちょうどいいと思っています。
なのに、なぜ「神様に聞けばいい」が増えたのか
ここから少し辛口になります。
今のスピリチュアル界を見ていると、
「自分で決めなくていいですよ」
という方向へ人を誘導しているものが、
少なくないように感じます。
「宇宙にお任せすれば大丈夫」
「天使が全部導いてくれます」
「あなたは何もしなくていい」
「ベストなタイミングで向こうからやってきます」
もちろん、そういう考え方が
本人の支えになることもあるでしょう。
でも、それを何でもかんでも信じてしまうと、
自分で考える力がどんどん弱くなります。
そして、
「私はどうしたいんだろう?」
ではなく、
「神様はどうしたいんだろう?」
ばかり気にするようになる。
これは、かなり危険です。
「自分の本音が分からない」は、恥ずかしいことじゃない
もちろん、
「自分が何をしたいのか分かりません」
という人を責めたいわけではありません。
むしろ、これは今の社会では珍しいことではないと思います。
学校では、
「正解は何ですか?」
と聞く。
会社では、
「上司は何を求めていますか?」
と考える。
周囲からは、
「普通はこうするよ」
と言われる。
SNSを開けば、
「こうすれば成功する」
「こうすれば幸せになれる」
という情報が大量に流れてくる。
そんな環境で長く生きていたら、
「自分は本当はどうしたいのか」
が分からなくなるのも無理はありません。
私だって迷います。
だから、
「神様、私の本当の願いに気づかせてください」
と祈るのは、私はアリだと思っています。
でも、
気づいた後は、自分で決める。
ここが大事です。
「神様に聞いたらこう言われました」で終わらせない
スピリチュアルの世界で、時々見かけるのが、
「神様からこう言われました」
「天使がこう言っています」
「宇宙からのメッセージです」
という言葉です。
それが本人にとって大切な体験であることまで
否定するつもりはありません。
でも、私は一つだけ思います。
「それで、あなたはどうしたいの?」
と。
神様が、
「こっちへ行きなさい」
と言ったとしても、
最終的に歩くのはあなたです。
天使が、
「この人と出会う意味があります」
と言ったとしても、
その人とどう関わるのかを決めるのはあなたです。
宇宙が、
「あなたには大きな使命があります」
と言ったとしても、
その使命をどう生きるのかを決めるのはあなたです。
メッセージを受け取ることと、
人生の責任を手放すことは別です。
魔術だって「願い」がなければ始まらない
これは、
魔術を学んできた私だからこそ強く感じることです。
魔術というと、
「呪文を唱えれば、超常的な力が願いを叶えてくれる」
と思われがちです。
でも、少なくとも私が学んできた魔術の世界では、
「自分は何を望んでいるのか」
という意志が非常に重要です。
願いがなければ、そもそも目的地がありません。
目的地がないのに、
「カーナビさん、よろしく!」
と言っても、
カーナビはどこへ案内すればいいのか分からない。
これはスピリチュアルでも同じではないでしょうか。
「どうありたいか」は、自分で決めていい
私は魔術やオカルトを学ぶ中で、
「自分の人生は、自分で決めていいんだ」
ということを学びました。
もちろん、
何をしてもいいという意味ではありません。
他人を傷つけてもいいわけではない。
社会のルールを無視していいわけでもない。
自分の願いさえあれば、
何でも現実になるという話でもありません。
そうではなく、
「私はこう生きたい」
と思うことそのものを、必要以上に否定しなくていい。
「こんなことを望んじゃいけない」
「もっと立派な願いじゃないといけない」
「神様が喜ぶ願いじゃないといけない」
と、自分の心を縛りすぎなくてもいい。
まず、
「私は本当はどうしたい?」
と自分に聞いてみる。
そして、その答えを大切にする。
そこから人生が始まるのだと思います。
スピリチュアルは「現実から逃げる道具」ではない
私は、スピリチュアルやオカルトには、
人間を弱くする側面だけでなく、
人間を強くする力もある
と思っています。
自分の内面を見る。
自分の欲望を知る。
自分の恐れと向き合う。
自分が何を大切にしているのかを知る。
そして、
「私は、この人生をどう生きたいのか」
を考える。
本来、こういう営みは、人間を
「自分の人生」へ戻してくれるものではないでしょうか。
だから私は、
スピリチュアルを使って現実から逃げるのではなく、
スピリチュアルを使って現実を生きてほしい
と思っています。
神様に祈ってもいい。
天使に助けを求めてもいい。
おまじないをしてもいい。
魔術を使ってもいい。
でも、そのあとで、
ちゃんと自分の足で歩いてほしい。
神様に人生を丸投げしない
もしかすると、神様は何でも解決してくれる
「デウス・エクス・マキナ」ではないのかもしれません。
困ったときに突然現れて、
「はい、全部解決しました!」
と舞台から退場する存在ではなく。
迷っているときに、
「あなたは本当はどうしたい?」
と、自分自身に問い返すきっかけを
与えてくれる存在なのかもしれません。
もちろん、これは私個人の考えです。
神様がどういう存在なのか、私にも断言できません。
でも、少なくとも私は、
「神様が何とかしてくれるから、自分は何もしなくていい」
という生き方はしたくありません。
神様に頼っていい。
弱音を吐いていい。
助けてもらっていい。
でも、
人生のハンドルまで手放さなくていい。
あなたの人生の目的地を決めるのは、
あなたです。
道に迷ったら、カーナビを使えばいい。
誰かに道を尋ねてもいい。
途中で休んでもいい。
道を間違えたら、戻ってもいい。
それでも最後に、
「私は、こっちへ行きたい」
とハンドルを握るのは、自分でありたい。
それが、私が思う
「スピリチュアルと上手につき合う」ということです。
最後に
もし今、
「自分が何をしたいのか分からない」
という方がいたら。
いきなり答えを出さなくても大丈夫です。
まずは、
「私は、本当はどうしたい?」
と自分に聞いてみてください。
答えが出なければ、
「本当の願いに気づかせてください」
と神様にお願いしてもいい。
でも、その答えが見えてきたら。
最後の一歩は、自分で踏み出してみてください。
神様に人生を丸投げする必要なんてありません。
だって、
あなたの人生を生きられるのは、
あなたしかいないのですから。
スピリチュアルは、
あなたの人生を奪うためにあるのではなく、
あなたがあなた自身の人生を生きるために、
力を貸してくれるもの。
私は、そんなふうに考えています。



コメント