デウス・エクス・マキナ―機械仕掛けの神―

こんにちは。セレシアです。

先日、「デウス・エクス・マキナ(Deus ex Machina)」という言葉が急に浮かんできました。

今回はデウス・エクス・マキナという言葉から、今のスピ界に欠けていると感じていることを綴っていきます。

※今回の記事はやや辛口です。苦手な方は今すぐブラウザバックをおすすめします。

デウス・エクス・マキナとは

「デウス・エクス・マキナ」とは、問題が起きて途方に暮れている時に神様が現れて、あれよあれよと問題が解決することです。

デウスはラテン語で「神」、マキナは「機械」で、デウス・エクス・マキナは「機械仕掛けの神」または「機械の神」という意味になります。

なぜ「機械仕掛けの神」なのでしょうか?

古代ギリシャ・ローマにおいて、劇で神様の役を演じる人が機械仕掛けを使って舞台に登場したことが由来となっているそうです。

人間には自由意志がある

スピリチュアルや伝統的な宗教では「悩んでいる時、苦しい時は神に祈りなさい」と言います。

神に祈ること自体は何の問題もありません。いくら考えても答えや解決策が出ない時は生きていれば何度でもあることですし、人間の考えていることなどたかが知れているからです。

ユダヤ教・キリスト教・イスラムでは、神の似姿として人間が創造されたと言われています。そして、神様は人間に自由意志を与えました。

宇宙や自然界の法則などの人間が覆すことができないものはもちろんありますが、自分がどうありたい、どうしたいかは自分の意志で決めることができます。

例えば、どうしても叶えたい願いがあって、その願いを叶えたくて魔術儀式を行うとしましょう。

西洋魔術の花形ともいえる召喚魔術では、神様や天使、精霊などといった霊的存在を呼び出して自分の願望を伝えます。

魔術では神様や天使といった霊的存在の力を借りることはよくあることですが、魔術とは自分の願い(意志)を形にする技術なので、願いや意志がなければ魔術は使えません。

頼っていいけど依存するな

神様や天使を頼ること自体は何の問題もありません。頼っても良いけど依存してはいけません。

なぜかというと、神様や天使は自分の願いという「目的地」に案内してくれるカーナビみたいなものです。

例えば、あなたが車で東京ディズニーシーに行くとします。

カーナビに「東京ディズニーシー」と入力すれば、東京ディズニーシーにたどり着けるように案内してくれます。

それと同じように、神様や天使は「目的地」への最善ルートを示してくれるのであって、あなたの「目的地」を決めるわけではないのです。

これらの霊的存在は願いが叶うことをサポートしてくれるのであって、「目的地」を設定するのはあくまでもあなた。

霊的存在(または自分の潜在意識や脳)というカーナビに「目的地」を設定し、そのルートを示すように指示するのが、魔術やおまじないなのです。

特に、今のスピ界は神様や天使などに依存させる「骨抜きスピリチュアル」がはびこっており、なんでもかんでも天使天使と依存して自分で決められない人が増えています。

カーナビと同じように、神様は自分の願いを叶えるルートを示してくれるのであって、あなたがどうありたいか、どうしたいかは決めてはくれません。

神様は本音や本当に叶えたい願いに気づかせますが、どうありたいか、どうしたいかを決めるのはあなたです。なぜなら、人間は神様の似姿で、神様から自由意志が与えられているからです。

そして、神様は(寿命が来ていない、まだ課題を達成していないにも関わらず命の危険が迫っている時などの例外を除いて)人間の自由意志を侵害することができないのです。

ですから、できるかできないかは別として、自分がどうありたい、どうしたいかは自分で決めましょうよ。

今のスピ界ではびこっている「骨抜きスピリチュアル」にはこの視点が欠けているのです。

まとめ

今回は「デウス・エクス・マキナ」から今のスピ界に欠けている視点をお話ししました。

5~10年ほど前からスピリチュアル・オカルトがブームになり、ブームをきっかけに今までないがしろにしてきた心や、自分に向き合う人が一人でも増えているのはとても良いことだと思います。

ただ、スピ界には残念ながらスピリチュアル・オカルトの基本が全く分かっていない講師がいることも事実ですし、何でもかんでも神様に決めてもらおうとする人が出ているのも事実です。

これは大問題です!

自分の本音が分からない、自分が何をしたいか分からないと悩む方は現代社会において少なくありませんし、私もよく悩みますのでその気持ちは分かります。

(そもそも本音が分からない、何をしたいか分からないなら、「私の本音、本当の願いに気づかせてください」と依頼すれば良いのですが・・・😅)

魔術・オカルトを勉強してから、自分の人生は自分で決められること。誰も害さない限り、自分の願いや欲望を叶えても良いということを知ることができました。

さらに、私たちは一人で生きているのではなく、大いなる力(神様)によって生かされていることを知ることで、より楽に、より謙虚に生きられるようになると思います。

時には神様や天使といった存在の力を借りながらも、自分がどうありたい、どうしたいかは自分の意志で決めて現実生活を楽しむこと。

これがスピリチュアル・オカルトの本来の目的だと思います。

「なんでもかんでも神様に全部任せればいいや~」なんていって依存する根性でまかり通るほど、魔術やスピリチュアルの世界は甘くありませんよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました