
こんにちは。御統いつきです。
今回は、私自身が実際に体験した
不思議な出来事について
書いてみようと思います。
きっかけになったのは、
「とほかみえみため」
という言葉でした。
この言葉を知ったとき、
最初は「なんだろう?」という程度でした。
ところが、意味を調べ、
実際に唱えてみたところ、
自分の中でバラバラだったものが、
一気に繋がるような強烈な体験をしました。
これは、
あくまで私自身の体験です。
けれど、もし今、
「自分は何のために
生きているんだろう?」
「自分の存在には、
どんな意味があるんだろう?」
「先祖や神様との繋がりって
なんだろう?」
そんなことを考えている人がいたら、
何か感じるものがあるかもしれません。
不思議なキーワードが、次々とやってきた
この出来事が始まったのは2021年頃。
YouTubeや音楽、
そして普段読んでいた記事などを通して、
なぜか同じようなテーマや言葉が、
次々と目に入ってくるようになったのです。
「天照大御神」
「岩戸隠れ」
「祝詞」
「ひふみ祝詞」
「龍」
「川」
「流れ」
「宇宙」
その頃の私は、
それぞれの言葉について
興味を持ちながらも、
「これって、一体
何に繋がっているんだろう?」
という感じでした。
まるで、誰かから
パズルのピースを一枚ずつ渡されて、
「ヒントはここまで。
あとは自分で組み立ててね」
と言われているような感覚です。
そして2022年に入ると、
さらに不思議なことが起きました。
なぜか突然、
日本酒が飲みたくなったのです。
もともと私はワインが好きで、
日本酒をよく飲む人ではありませんでした。
嫌いではないけれど、
特別好きというわけでもない。
それなのに、なぜか日本酒…
今振り返ると、この頃から少しずつ
何かが動き始めていたのかもしれません。
「祝詞って、こんなに美しいんだ」
そんな中、3月の初め頃。
龍神祝詞について調べていた私は、
ある動画にたどり着きました。
それが、
のぞみまつき(nozomimatuki)さんの
「大祓詞」の動画でした。
再生してみると…
とても響きが美しかったのです。
それまで私の中では、
「祝詞」はどこか古くて難しいもの、
というイメージがありました。
ところが、実際に耳にしてみると、
その響きに不思議と惹かれていきました。
そして関連する作品を見ているうちに、
「とほかみえみため」
という言葉に出会います。
初めて聞くはずなのに、
なぜか懐かしい。
「あれ?これって、
どこかで聞いたことがあるような…?」
そんな感覚になりました。
そして、気がついたら
涙が出ていたのです。
もちろん、なぜ涙が出るのか、
そのときの私には分かりませんでした。
ただ、
「この言葉には、何かある」
そう感じました。
そこで、意味を調べることにしました。
「とほかみえみため」とは?
「とほかみえみため」は、
白川神道(伯家神道)において
最も重要視されてきた言葉として
知られています。
私が調べていく中で
特に興味深かったのが、
「とほかみ」には複数の捉え方がある
ということでした。
「遠神」と捉える場合には、
遠い祖先、
つまり自分たちのルーツにつながる神々
を意味します。
また「十神」という捉え方もあり、
天之御中主神、
高皇産霊神、
神皇産霊神、
宇摩志阿斯訶備比古遅神、
天之常立神、
伊邪那岐命、
伊邪那美命、
天照大御神、
月読命、
素戔嗚尊
という十柱の神々を指すとされます。
そして、
「えみため」=「微笑んでください」
という意味があります。
つまり、
「遠津御祖神、
そして十の神々よ、
どうか微笑んでください」
という祈りとして捉えることができます。
そこには、
自分一人だけで生きているのではなく、
先祖がいて、神々がいて、
今の自分が存在している。
そのことへの感謝も
含まれているように感じました。
そして数日後。
私にとって、
とても強烈な出来事が起こります。
お風呂の中で起きた、強烈な体験
その日、この出来事が起きた時、
私はお風呂に入っていました。
いつものように
ゆっくりと湯船につかりながら、
「とほかみえみため」
を無心で唱えていました。
すると突然…
それまでバラバラに存在していたものが、
一気に繋がったような感覚になったのです。
それまで入ってきていた様々なキーワード。
神道について学んでいたこと。
カバラや魔術について学んできたこと。
これまで見てきた動画や情報。
そういったものが、
一つの線につながっていきました。
そして私は、
「すべてのものは一つのものから流れ出て、
すべてのものは一つのものへ帰っていく」
というイメージを、
まるで見せられるような形で感じました。
自分から望んで見ようとしたわけ
ではありません。
かなり強烈な体験でした。
あまりにも強烈で、
その後しばらくは
ふわふわしたような状態になり、
呂律もうまく回らないほどでした。
「このまま戻ってこれなかったら
どうしよう…」
そんなことを考えるほどでした。
何とか普段の感覚に戻そうと、
私はコーヒーをたくさん飲みました。
…結果、
頭痛はするし、ぼんやりするし、
食欲がえげつないほど湧く(笑)
今考えると、頭痛の原因は
コーヒーの飲みすぎだったと思います。
それくらい、
反動が大きかったのです。
でも、その体験を通して、
私は一つのことを
強く感じるようになりました。
それは、
私たちも、先祖も、
そして八百万の神々も、
元をたどっていけば
「一つのもの」に
行くつくのではないか?
ということでした。
「自分を否定する」ということ
神道では、
天之御中主神を宇宙の根源として捉える
考え方があります。
そこから多くの神々が生まれ、
さらに私たちも、
その流れの中に存在している。
この考え方に触れたとき、
私は「自分」という存在についても、
少し違った見方ができるようになりました。
ある日、
氏神神社を参拝したときに、
おみくじを引きました。
そこに書かれていたのが、
暖かき神の御袖に包まれて心のどけき我が身なりけり
という御神歌でした。
その意味を読んで、
私はまた考えさせられました。
私たちは、自分の力だけで
ここに存在しているわけではない。
見ることも触れることもできなくても、
たくさんのものに支えられて生きている。
そして、自分の後ろには
何代もの先祖がいる。
5代、10代と遡っていけば、
数えきれないほどの人たちがいて、
その誰一人が欠けても、
今の自分は存在しません。
そう考えると、
「自分なんてダメだ」
「自分には価値がない」
と自分自身を否定することについても、
少し違った見方ができます。
自分という存在は、
自分だけの存在ではないからです。
あなたも私も、同じところから来ている
この体験を通して
私が受け取ったメッセージは、
とてもシンプルなものでした。
今ここに生きていることそのものを、
まず受け入れていい。
長所だけではありません。
短所も。
弱さも。
不器用さも。
自分が好きになれない部分も。
それらを全部含めて、
「これが今の私なんだ」と認めていい。
なぜなら、自分という存在は、
自分一人で突然生まれたもの
ではないからです。
たくさんの先祖から命を受け継ぎ、
そのさらに先には神々がいて、
その根源をたどれば
一つのものへと繋がっていく。
そう考えると、
「自分だけが価値のない存在」
ということは、
あり得ないのではないか?
そんなふうに感じました。
あなたも私も、
特別に偉いわけではない。
だからといって、
価値がないわけでもない。
ただ、同じところから生まれ、
同じようにこの世界に存在している。
それでいいのだと思います。
「とほかみえみため」は、一つにつながる鍵だった
私にとって、
「とほかみえみため」という言葉は、
単なる祝詞や言葉ではありませんでした。
それまで別々に見えていた、
自分自身。
先祖。
神々。
宇宙。
命。
それらが、
一本の線でつながっているように
感じさせてくれた「鍵」だったのです。
もちろん、
この体験をどう受け取るかは
人それぞれだと思います。
同じような体験をする必要もありません。
何かを信じなければならない、
という話でもありません。
ただ私は、この言葉を通して、
「自分は一人で生きているわけではない」
という感覚を強く持つようになりました。
そして、
「今ここにいる自分を、
もっと大切にしていい」
とも思えるようになりました。
自分を否定したくなったとき。
自分には何の価値もないと
思ってしまったとき。
そんなときは、
少しだけ視点を遠くへ向けてみる。
自分の後ろには、
たくさんの命の連なりがある。
そして、そのさらに先には、
自分たちがまだ理解しきれていない
大きな何かがある。
そう思うだけでも、
少し心がゆるむことがあります。
「とほかみえみため」
私にとってこの言葉は、
自分と、
自分のルーツである先祖、
八百万の神々、
そして宇宙の根源へとつながる鍵。
そして同時に、
「あなたは、あなたのままで大丈夫」
と静かに思い出させてくれる
言葉なのかもしれません。
だから私は、この言葉が
「最強の祝詞」と呼ばれる理由も、
少し分かるような気がしています。



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