こんにちは。セレシアです。
今年に入り、日本に古来から伝わる神道(特に白川神道)の考え方に目を向けるようになりました。今回は摩訶不思議な神道と謎解き?のお話です。
この出来事の経緯
去年からYouTube、音楽、そして毎月お世話になっているスタイリストF氏のFacebook投稿など、様々な形で次々とキーワードがやってきています。
そして、今年に入るとなぜか日本酒が飲みたくなるという謎現象が。(私はワインが好きで日本酒はあまり飲みません。日本酒自体は嫌いじゃないけど・・・)
私の元に入ってきたキーワードは「天照大御神」「岩戸隠れ」「祝詞」「ひふみ祝詞」「龍」「川」「流れ」「宇宙」など。
ただ、これらの情報が何を示しているのかは謎のままで・・・簡単に言えば、パズルのピースをポン!と渡されて「ヒントは出すけど、後は自分で組み上げてね♪」と言われるようなものです(笑)←まあ、しょうがない。私が天邪鬼だからw
3月初め頃、YouTubeで龍神祝詞を検索していると、のぞみまつき(nozomimatuki)氏の動画「【初音ミク】大祓詞-Song of The Oharae-」にたどり着いたのです。
気になって再生してみると・・・響きが美しい!!!
祝詞というと言い回しが難しくてとっつきにくいイメージがあると思います。これらの動画で祝詞が持つ響きの美しさに瞬く間に引き込まれ、のぞみまつき氏の他の作品を見ていくうちに「【初音ミク】トホカミエミタメ-遠神恵賜二十祝詞-」に出会ったのです。
「【初音ミク】大祓詞-Song of The Oharae-」と「【初音ミク】トホカミエミタメ-遠神恵賜二十祝詞-」を初めて聞いた時、初めて聞くはずなのにどこかで聞いたことがあるような感じがしてきて涙が出てきたのです。
「とほかみえみため?どこかで聞いたことがある気がするけど、どんな意味だっけ??」
そう思った私は意味を調べることにしたのです。
「とほかみえみため」の意味
「とほかみえみため」は歴代天皇が唱えた最強の祝詞とも言われています。
800年もの長い間、神祇伯として宮中祭祀を司った白川家(1959年に断絶)に受け継がれてきた白川神道(伯家神道)では特に重要視されています。
では、「とほかみえみため」にはどんな意味があるのでしょう?それを紐解いていきましょう。
まず、「とほかみ」には「遠神」と「十神」という二つの意味があります。
「遠神」とは遠御祖神(とおつみおやのかみ)=神の領域に達した先祖のことを指します。
次に「十神」とは天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、神皇産霊神(カミムスビノカミ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)、天之常立神(アメノトコタチノカミ)、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の10柱の神と、「あかさたなはまやらわ」の10の言葉の神を指します。
そして「えみため」は「微笑んでください」という意味です。
つまり「とほかみえみため」は「遠津御祖神・十の神よ、微笑んでください」という意味で、「微笑んでください」には「数多くの神様に支えられ、今生きていられることに感謝します」という感謝の祈りも含んでいます。
突然起きた強烈な体験
「とほかみえみため」の意味を調べて数日経ったある日。入浴中に「それ」は起きました。
私はゆったりとお風呂に入り「とほかみえみため」を無心に唱えていました。すると・・・今まで入ってきていたキーワードと今まで学んでいたカバラや魔術、もっちーさんの動画の内容などが一気に繋がっただけでなく、「全てのものは一つのものから流れ出て、全てのものは一つのものへと帰っていく」場面をイメージで見せられたのです!(ほぼ強制的に)
あまりにも強烈だったため、しばらくふわふわして呂律が回らない状態に・・・下手したら戻ってこれなかったかもしれません・・・
それを解消するためにコーヒーを飲みまくったら頭は痛いわ(そもそも頭痛の原因はコーヒーの飲み過ぎなので自業自得w)、ぼんやりするわ、食欲モンスターになるわw(とはいえ、全く食べられない状態の方がもっとヤバイ😨)
反動が半端なくて一時は本当に戻れなくなるかと思いましたが、「私たちや先祖、八百万の神も元をたどれば一つのものにたどり着く」ということを伝えたかったのだと分かりました。
あなたも私も神様です
神道でいう「一つのもの」とは天之御中主神=宇宙の根源であり、八百万の神もそこから生まれ出てきていると考えます。そして私たちは神様の分身で、大元をたどれば天之御中主神にたどり着くのです。
また、先日最寄りの神社を参拝した時におみくじを引きましたが、引いたおみくじにはこのようなことが書かれていました。
暖かき神の御袖に包まれて心のどけき我が身なりけり
この御神歌の意味は「私たちには見ることも触れることもできないけれども、確かに神様に守られ、支えられて生きている。私たちは神様の御末(末裔)であり、神様のありがたさ、尊さを忘れなければ自然と謙虚な気持ちになり、やることは皆喜びの種となり、より一層の幸福に包まれます」ということです。
「こうして今、生きていることは神様に愛されて許されている証拠なのだから、長所だけでなく短所も含めた自らの性質を受け入れよ」「5代、10代と遡っていくと数多くの先祖がいて、自らを否定することは先祖、ひいては神様を否定することと同じこと」「あなたも私も同じ神様の分身で、それ以上でもそれ以下でもない。存在価値は皆平等」
このことを私にどうしても伝えたかったのでしょう。
「とほかみえみため」は全てを肯定する言葉で、自分と自らのルーツである先祖、八百万の神、そして宇宙の根源=天之御中主神へと繋がる「鍵」だったのです。
「とほかみえみため」が最強の祝詞である理由はこれなのかもしれません・・・
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