なぜ、現代人には「祓い」が必要なのか?―祓うべきものは、厄や悪いものだけじゃない

こんにちは。御統いつきです。

最近、

「何もしていないのに、なんだか疲れる」
「SNSを見ているだけなのに、心がザワザワする」
「頭の中がずっと忙しい」

そんな感覚になることはありませんか?

もしかすると、
それはあなたが弱いからではないかもしれません。

今の私たちは、
あまりにもたくさんの「情報」の中で生きています。

朝起きればスマホ。
ニュース、SNS、広告、動画、仕事の連絡。

誰かの成功。
誰かの怒り。

誰かの不安。
誰かの正しさ。

気づかないうちに、
私たちは膨大な情報を受け取り続けています。

そして、ここに、

「祓い」

というものを考えるヒントがあります。

神道では昔から、

「祓いに始まり、祓いに終わる」

と言われるほど、

「祓い」を大切にしてきました。

では、いったい何を祓うのでしょうか?

厄でしょうか?
不運でしょうか?
ネガティブなエネルギーでしょうか?

もちろん、そういう捉え方もあります。

けれど、私は現代において、
もうひとつ「祓うべきもの」があると思っています。

それが、「情報」です。

「祓い」とは、余分なものを手放すこと

「お祓い」と聞くと、

神社で神職が紙垂のついた大麻(おおぬさ)を振り、
祝詞を奏上する姿を思い浮かべる方が多いと思います。

なんとなく、

「悪いものを追い払う」

というイメージがあるかもしれません。

でも、もっとシンプルに考えてみると、

祓いとは「余分なものを取り除くこと」

とも言えます。

部屋に埃が溜まったら掃除をします。

机の上が物でいっぱいになったら、
不要なものを片づけます。

スマホの容量がいっぱいになったら、
いらない写真やファイルを削除します。

それと同じように、

人間の内側にも、日々いろいろなものが溜まっていく。

だから、定期的に「祓う」。

神道の「祓い」には、そんな感覚があります。

では、私たちの中に何が溜まっているのか?

ここで、少し視点を変えてみます。

私たちは毎日、何を受け取っているでしょうか?

人からかけられた言葉。

ニュース。
SNSの投稿。
広告。

誰かの価値観。
誰かの人生。

仕事の情報。
過去の記憶。
未来への不安。

「こうするべき」
「普通はこう」
「成功するにはこう」

そんな情報を、毎日のように受け取っています。

そして、それらは目には見えません。

だからこそ厄介です。

部屋にゴミが落ちていれば気づけます。

でも、

「いつの間にか自分の中に入ってきた情報」

は、なかなか気づけません。

しかも、

その情報が自分にとって必要なのか、
不要なのかさえ分からないまま、

抱え込んでしまうことがあります。

すべての物事には「情報」が関わっている

ここが、今回いちばん伝えたいところです。

私は、

すべての物事には「情報」が関わっている

と考えています。

たとえば「家」。

家には設計図があります。

「ここに壁を作る」
「ここに窓をつける」
「ここを部屋にする」

という情報があって、
それが実際の形になっていきます。

「言葉」もそうです。

同じ出来事でも、

「失敗した」

という情報として受け取るのか、

「経験を得た」

という情報として受け取るのかで、

その後の自分の反応は変わります。

もちろん、

現実そのものが言葉だけで自由自在に変わる、
という単純な話ではありません。

でも、

私たちが現実をどう認識し、
どう意味づけ、どう行動するかには、
情報が深く関わっています。

古くから、人間は「言葉」や「概念」を
非常に重要なものとして扱ってきました。

『旧約聖書』の創世記には

神は光あれと言われた。すると光が生まれた。

という創造の物語があります。

また、『新約聖書』のヨハネ福音書には

はじめに言葉(ロゴス)があった。

という一節があります。

古神道、特に白川神道の世界観にも、

言霊・振動・結びという、
情報から現象へとつながっていく

という考え方があります。

こうして見ていくと、

「情報」というものが、
私たちの世界と無関係なものではない

ことが見えてきます。

だからこそ「情報」は、選んだほうがいい

もし、情報が私たちに影響を与えるのだとしたら。

当然、

どんな情報を受け取るのか

は、とても大切になります。

たとえば朝起きて、SNSを開いた瞬間。

誰かの炎上。
誰かの愚痴。

誰かの成功報告。

誰かの不安。
誰かの怒り。

大量の情報が、一気に頭の中へ入ってきます。

そして私たちは、
その一つひとつに反応してしまいます。

「この人すごいな」
「自分は何をやっているんだろう」

「こんなニュース怖いな」
「自分も頑張らなきゃ」

そうやって、

まだ何もしていない朝から、
心の中にたくさんの情報を抱えてしまう。

だから、

「疲れているのにスマホを見てしまう」
「休んでいるのに休んだ気がしない」

ということが起こります。

情報過多の現代だから、「祓い」が必要になる

昔の人も、
もちろん情報を受け取っていました。

人から聞いた話。
村の噂。

自然の変化。
季節の知らせ。

しかし現代は、
その規模がまったく違います。

スマホひとつで、
世界中の情報が入ってきます。

しかも、

情報を探しに行かなくても
向こうからやってきます。

通知。
おすすめ。

タイムライン。
ショート動画。

広告。
ニュース。

私たちは、

「情報を取りに行っている」のではなく、
「情報に取り囲まれている」

と言ってもいい状態です。

だからこそ、

情報を「入れる」ことだけではなく、
情報を「出す」「手放す」「祓う」

という時間も必要になります。

これは、決して難しいことではありません。

スマホを置く。
SNSを閉じる。

静かな時間をつくる。
部屋を掃除する。

深呼吸する。
神社に行く。

祝詞を唱える。
ただ静かに目を閉じる。

こうした小さな行為も、

「自分の中に入りすぎたものを、一度リセットする」

ための時間になります。

「祓い」は、特別な人だけのものではない

神社で正式にお祓いを受けるのも、
もちろんひとつの方法です。

初詣。
厄年。

人生の節目。
6月末や12月末の大祓。

そうした節目に神社へ行き、
自分の中に溜まったものをリセットする。

それは、とても良い習慣だと思います。

でも、毎日神社へ行ってお祓いを受けるのは、
現実的にはなかなか難しいと思います。

そこで、

身近な方法として取り入れやすいのが
「祝詞」です。

祝詞にはさまざまなものがあります。

『神道大祓全集』などの祝詞本もありますし、
音声で聞くこともできます。

ただ、

「祝詞って難しそう」
「長くて覚えられない」

という方もいると思います。

私自身、
そらで唱えられるものは限られています。

だから、
最初から完璧にやろうとしなくて大丈夫です。

たとえば、

白川神道に伝わるものとして知られる、

「とほかみえみため」

から始めてみるのもひとつです。

声に出して唱えてもいい。
音声を流して聞くだけでもいい。

「今日はちょっと疲れたな」という日に、
静かな時間をつくるために使ってもいい。

大切なのは、

完璧にやることではなく、
自分の中に溜まりすぎたものを手放す時間を持つこと。

だと思います。

「祓う」と、元の自分に戻りやすくなる

私は「祓い」を、
何か恐ろしいものを追い払う行為だけとは考えていません。

むしろ、

余計なものを手放して、
本来の自分に戻っていくための時間

なのだと思っています。

誰かの言葉を受け取りすぎていたら、
手放す。

誰かの価値観に引っ張られていたら、
手放す。

必要以上のニュースを抱えていたら、
手放す。

「こうしなければ」という思い込みを抱えていたら、
一度置いてみる。

そうすると、

「私は本当はどうしたいんだろう?」

という、自分自身の声が少し聞こえやすくなる。

これは、

情報を完全に遮断するということではありません。
情報を拒絶するのでもありません。

必要な情報は受け取り、不要な情報は手放す。

その循環をつくることです。

現代の「お祓い」は、情報の断捨離なのかもしれない

現代人にとって、本当に必要なのは、

「もっと情報を集めること」

だけではないのかもしれません。

むしろ、

「もう十分に持っているものを、手放すこと」

が必要なのではないでしょうか。

情報過多の時代。

知らないことよりも、

「知らなくてもいいこと」

のほうが圧倒的に増えています。

全部を知らなくていい。
全部に反応しなくていい。

全部を理解しなくていい。
全部の人に好かれなくていい。

そして、

全部の情報を、
自分の中に保存しておかなくてもいい。

だから今日から、
ほんの少しだけ「祓う時間」をつくってみてください。

スマホを置いて、数分間静かに過ごす。

不要なアプリを消す。
SNSのフォローを整理する。

部屋を掃除する。
神社へ行く。

祝詞を聞く。
自分の心を静かにする。

どれでも構いません。

最後に

情報は、私たちの世界と切り離せないものです。

すべての物事には「情報」が関わっている。

だからこそ、
情報は私たちに良くも悪くも影響します。

そして今は、
あまりにも多くの情報が流れ込んでくる時代です。

だから、

情報を受け取ることと同じくらい、
情報を祓うことが大切になる。

私はそう考えています。

「祓い」という言葉を、

怖いものを追い払うためのものではなく、

自分の中に溜まりすぎた余分なものを手放し、
自分自身に戻るための習慣

として捉えてみる。

そうすると、神道の「祓い」が、
少し違って見えてくるかもしれません。

今日もたくさんの情報を受け取ったあなたへ。

もう、全部を抱えなくて大丈夫です。

必要なものだけ残して、
あとは、そっと手放していい。

情報過多の時代だからこそ、
私たちには「祓う時間」が必要なのです。

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