頑張っても満たされないあなたへ―「足す」より「手放す」生き方

こんにちは。御統いつきです。

「もっと頑張らなきゃ」
「もっと知識をつけなきゃ」
「もっと稼がなきゃ」
「もっと魅力的にならなきゃ」
「もっと成長しなきゃ」

私たちは、気づかないうちに、

「今の自分には何かが足りない」

と思わされながら生きているのかもしれません。

だから、本を読む。

資格を取る。
スキルを身につける。

仕事を頑張る。
美容や健康にお金をかける。

自己啓発を学ぶ。
スピリチュアルを学ぶ。

もちろん、
それ自体は悪いことではありません。

新しいものを身につけることで、
人生が変わることもあります。

けれど。

いくら足しても、なぜか満たされない。

むしろ、頑張れば頑張るほど、

「まだ足りない」
「もっと何かしなきゃ」

という気持ちが強くなっていく。

そんな経験はないでしょうか。

もしかすると私たちに必要なのは、

「何を足すか」ではなく、「何を手放すか」

なのかもしれません。

「もっと、もっと」と足していくと、終わりがなくなる

現代社会は、
基本的に「足し算」が得意です。

付加価値をつける。

売上を増やす。
スキルを増やす。

フォロワーを増やす。
収入を増やす。

知識を増やす。
経験を増やす。

「今あるものに何かを加えて、
より良い自分になろう!」

という考え方です。

ゲームで考えてみると分かりやすいかもしれません。

最初は「ホイミ」しか使えなかったキャラクターが、
経験を積んで「ベホイミ」を覚える。

さらに成長して「ベホマ」まで使えるようになる。

できることが増える。
能力が増える。
選択肢が増える。

これは、とても分かりやすい「足し算」です。

そして、実際に楽しいんですよね。

新しいことを覚える。
できなかったことができるようになる。
昨日の自分より成長する。

その喜びは、確かにあります。

でも、足し算にはひとつ落とし穴があります。

「増やす」ことには、終わりがない。

ひとつ手に入れれば、
「じゃあ次はこれ」となる。

年収が上がれば、
「もっと上を目指したい」となる。

知識が増えれば、
「まだ知らないことがある」となる。

スキルを身につければ、
「このスキルも必要かもしれない」となる。

そして気がつくと、

「足りないものを埋め続ける人生」

になってしまうことがあります。

本当は「足りない」のではなく、「多すぎる」のかもしれない

ここで、一度だけ発想を逆にしてみます。

「何が足りないんだろう?」

ではなく、

「何を抱えすぎているんだろう?」

と考えてみる。

たとえば、

昔の失敗。
誰かから言われた言葉。
「こうあるべき」という思い込み。

他人からの期待。
もう終わった人間関係。

自分には向いていないこと。
無理をして続けている習慣。

そして、

「こうしなければ幸せになれない」
という思い込み。

こういうものを、
私たちは意外とたくさん抱えています。

しかも厄介なのは、
それらを抱えていることに慣れてしまうこと。

だから、
「手放す」という発想そのものが出てこない。

新しい方法を探すことには一生懸命なのに、
古いものを捨てることは忘れてしまう。

でも、部屋と同じなんですよね。

収納スペースがいっぱいなのに、

「もっと収納を増やそう」

とするだけでは、いつか限界がきます。

その前に、

「そもそも、これはまだ必要なのかな?」

と見直す必要があります。

人生も、もしかすると同じなのです。

神道には「祓う」という考え方がある

ここで、私が研究している
神道の考え方に少し触れてみたいと思います。

神道には、

「祓い」

という、とても重要な考え方があります。

神社に行くと、参拝する前に手水をしますよね。

手を洗い、口をすすぐ。

これは、簡易的な禊(みそぎ)にあたります。

また、七五三や厄年などで「お祓い」を
受けた経験がある方もいるかもしれません。

神事では「祓詞(はらえことば)」が奏上され、

「祓い給え、清め給え」

といった言葉が出てきます。

つまり神道では、

何かを得ることだけではなく、
「余分なものを祓うこと」も大切にされてきた

のです。

これは、現代を生きる私たちにとって、
かなり大切な視点なのではないでしょうか。

「自分を変える」のではなく、「自分に合わないものを手放す」

私自身も、以前は、「できないこと」を
何とかできるようにしようとしていました。

とっさの判断が苦手。
細かいことが気になる。
仕事が遅い。

周りの人が普通にできることが、
自分には難しい。

そんな自分を見て、

「もっと頑張らなきゃ」

と思っていた時期があります。

でも、あるときから
少しずつ考え方が変わっていきました。

「できないことを、
全部できるようにする必要はないんじゃないか」

と。

たとえば私は、
とっさの判断は得意ではありません。

でも、その代わりに、
ひとつのことを深く掘り下げることができる。

細かいところまで気づくことができる。
些細な変化を見つけることができる。

自分では「普通のこと」だと思っていたことを、
周りからは「観察力がすごい」と言われたりしました。

そこで気づいたのです。

人には、

「できないこと」があるからこそ、
「できること」が際立つ場合がある。

ということに。

何でもできる人になる必要はない。
苦手を全部克服しなくてもいい。
誰かと同じ能力を持たなくてもいい。

むしろ、

「これは私には向いていない」

と認めることによって、

本当に自分が持っているものに気づけることがあります。

これも、ひとつの「引き算」なのだと思います。

「引き算」は、自分を小さくすることではない

ここは誤解してほしくないところです。

引き算というと、

「諦めること」
「我慢すること」
「何もしないこと」

のように感じるかもしれません。

でも、私はそうではないと思っています。

引き算とは、

本来の自分に必要のないものを減らしていくこと。

そして、残ったものを大切にすること。

たとえば、

「人から好かれなければならない」
を手放したら、

本当に大切にしたい人との関係が見えてくる。

「もっと成功しなければならない」
を手放したら、

自分にとっての幸せが見えてくる。

「苦手なことも全部できるようにならなければ」
を手放したら、

自分の得意なことが見えてくる。

「過去の自分はこうだったから」
を手放したら、

今の自分が見えてくる。

つまり、引き算は、

自分を削ることではなく、
自分を覆っている曇りを取り除くこと

なのです。

神道の「祓い」は、終わりではなく「次」のためにある

神道の「祓い」を考えるとき、
もうひとつ面白いことがあります。

「祓う」というと、

何かをなくして終わり、
というイメージがありますよね。

でも、そうではありません。

古いものを祓う。
余分なものを取り除く。

そうすると、
そこに新しいものが生まれる余地ができる。

つまり、

「引き算」のあとには、「足し算」が起こる。

そう考えることもできます。

たとえば、
部屋を片づけるのも同じです。

いらないものを捨てる。
すると、空間ができる。

空間ができるから、
本当に必要なものを置くことができる。

心も同じなのかもしれません。

ずっと握りしめていたものを手放す。
すると、心に余白ができる。

その余白に、

新しい人。
新しい考え。

新しい仕事。
新しい可能性。

新しい自分。

が入ってくる。

だから「手放す」というのは、
何もなくなることではありません。

新しいものが入ってくるための余白をつくること

なのです。

「何を足そう?」の前に、「何を手放そう?」

もし最近、

「頑張っているのに、なぜか満たされない」
「勉強しているのに、まだ足りない気がする」
「もっと成長しなければと思って疲れている」
「人生を変えたいけど、何をすればいいのか分からない」

そんな感覚があるのなら。

新しいことを始める前に、
ひとつだけ問いかけてみてください。

「私は、何を足せば幸せになれるんだろう?」

ではなく、

「私は、何を手放したら少し楽になれるんだろう?」

と。

もしかすると、

あなたに足りないものは、
もうそんなに多くないのかもしれません。

ただ、

余分なものをたくさん抱えていて、
本当に大切なものが見えなくなっているだけかもしれない。

だから、

無理に自分を変えなくてもいい。
もっと頑張らなくてもいい。

まずはひとつ。

「これはもう、私には必要ないかもしれない」

と思うものを手放してみる。

それだけでも、
心の中に小さな余白が生まれるかもしれません。

そして、その余白こそが、

次の「結び」――新しい何かが生まれる場所

になるのだと思います。

足すことも大切。
でも、ときには引くことも大切。

人生は、

足して、引いて、また足して。

その繰り返しなのかもしれません。

「もっと、もっと」と
自分を追い立てるのに疲れたときは、

少しだけ立ち止まって、

「今の私に、本当に必要なものは何だろう?」

と、自分に聞いてあげてください。

あなたを幸せにするものは、
これから新しく手に入れるものの中だけに
あるとは限りません。

もしかしたら、

すでに持っているものに気づくこと。

そして、

必要のないものを手放すこと。

その中にも、幸せへの入口はあるのかもしれません。

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