神道から考える「引き算」の美学

こんにちは。セレシアです。

今あるものに何かを足す「足し算」と、今あるものから何かを捨てる「引き算」。

現代社会では「付加価値」「GDP(国内総生産)」「経済成長」などの言葉がよく出てきている通り、何かを足す「足し算」の考え方がメインになっていますね。

けれども、今は先進国はどの国を見ても、1960年代のようにGDP・経済成長率が大きく伸びることがなくなっているのではないでしょうか?そして、この傾向はスピ界・自己啓発の世界でも見られるようです。

今回はそれを踏まえ、日本古来の神道から「引き算」の考え方を見ていきましょう。

足し算の考え方・引き算の考え方

現代では「付加価値」「GDP(国内総生産)」「経済成長」「スキルをつける」など、今あるものに何かを足して増やしていくという「足し算」の考え方が主流になっています。

「スキルをつけて市場価値を高める→年収アップ!」は1番分かりやすい「足し算」の考え方ですね。(これ自体が悪いわけではないですよ)

ドラクエで言うなら、最初はホイミしか使えなかったのが、ベホイミが使えるようになり、さらにベホマが使えるようになるという感じですね♪

ドラクエⅥ、Ⅶではダーマ神殿で職業(クラス)変更ができる転職システムがあります。僧侶になってホイミやベホイミを覚えたり、僧侶と魔法使いをマスターして賢者になってより高度な呪文を習得することもできますね。

このように、足そうと思えばいくらでも足すことができます。けれども、足そうとすればするほど「あれも足りない」「これも足りない」と足りない足りないループに突入し、お金はあるのに心は満たされない・・・というような状態になりかねません😱この時点で「無間地獄」突入ルートです😱

では、「引き算」の考え方はどうなのでしょうか?

ドラクエⅣ、Ⅴでは転職システムがないので、それぞれのキャラが習得できる呪文・特技は限られます。Ⅳのライアン、アリーナ、トルネコは呪文を使えません。

マホトーンで呪文を封じられるのはかなりきついですね(特にボス戦では)・・・勇者(主人公)、クリフト、ブライ、マーニャ、ミネアだったらかなり痛いですが、ライアン、アリーナ、トルネコはそもそも呪文を使えないのでマホトーンをかけられても全然痛くありません(笑)

ライアン、アリーナ、トルネコは呪文を使えないので、呪文を封じるマホトーンの影響を全く受けません。この点が呪文を使えないキャラの大きなメリットです。呪文が使えないなら特技でぶん殴るか、賢者の石などといった道具を使えばいいのです。

このように、今の自分のできること・できないこと、得意なこと・苦手なこと、長所・短所を受け入れた上で、できること・得意なこと・長所を伸ばしていくのが「引き算」の考え方を踏まえた努力です。

自分の特性を知って受け入れるまではつらいですけどね・・・😅

私自身も自閉症スペクトラムのグレーゾーン&HSPということもあり、細かいことが気になるわ、頭の回転は遅いわ、仕事は遅くて怒られるなど散々な思いもしました。それで自分が嫌になったことは数え切れないほどあります(汗)

けれども、頭の回転は遅い代わりに深くまで物事を突き詰められる点(学問研究をする上でこれは必須)は学生時代は指導教授・お世話になった教授、現在は担当美容師F氏からもよく言われますし、これが魔術・オカルト・神道の研究にも繋がっていると考えています。

さらに、細かいところに目を向けられるからこそ、些細な変化にも気づきやすい。上司から「君の観察力はすごい!うらやましい」と言われますが、自分では普通のことだと思っているので、言われるまではそれが長所とは気づかなかったのです。

このように、自分では普通のことだけど、他の人から見ればすごい長所・特技だというものが必ずあるのです。

神道は「引き算」を重視する

さて、日本の神道は「祓いに始まり、祓いに終わる」といいます。

神社に参拝する前に手水舎で手を洗って口をゆすぐのですが、これは簡易的な「禊」にあたりますね。

そして七五三や厄落としなどで、一度はお祓いを受けたことがあるのではないでしょうか?

お祓いや神事の際、神職は祝詞(祓詞)を奏上するのですが、祝詞(祓詞)には「祓い給え、清め給え」という言い回しがよく出てきます。

このように、神道は「祓い」というプロセスを重要視します。「禊」とは「身削ぎ=古いもの・不要なものをそぎ落とす」という意味で、神道の「祓い」は±0の状態にすることです。

西洋でも魔術や魔女術、ホ・オポノポノなどで「浄化」の概念自体はあるものの、西洋スピリチュアル・成功法則では「祓い」を物事のステップとして重視しない(またはすっ飛ばすw)傾向にあります。

なぜなら、西洋の思想では「蓄積すること=善、進化、成長」と捉えるため、すでに不要になっているものがあっても祓わない。余分なものが蓄積されていても祓わない。

そうなるとどうなるかはすでに申し上げた通りです。

一方で、日本の神道は「祓い」によって「結び=物事の創造」が起き、「結び」が起きた段階で完了したと考えます。そして、宇宙・自然界や物事は「祓い」→「結び」→「祓い」のサイクルを繰り返し、常に動いているのです。

そのため、完了しているものに執着することは流れをせき止めること=ケガレ(氣枯れ)につながるので、古いもの・不要なものは(ネガティブもポジティブも関係なく)祓って±0の状態に戻していくのです。

±0の世界は+(プラス)も-(マイナス)もない世界。善も悪も、陰も陽も、白も黒もない二元性を超えた世界が±0の世界。私たちが生きている現実世界は±0の世界から作られているのです。

このような観点で、神道では「祓い」で新たな「結び」が起きる余地を作るのです。そして「祓い」は「張る」でもあり、祓っていけば新しいもので満たされていくのです。

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