一流の黒魔術師は、一流のエクソシストでもある【閲覧注意】

こんにちは。御統いつきです。

今日は、少し怖いお話をします。
テーマは、黒魔術と悪魔祓いです。

黒魔術と聞くと、

「悪魔を呼び出す」
「呪いをかける」
「危険な魔術」

そんなイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。

実際、黒魔術を語る上で、
「悪魔」という存在を切り離すことはできません。

そして、悪魔を扱う以上、

「呼び出す技術」だけでは不十分です。

むしろ重要なのは、

「呼び出したものを制御できるのか」

ということ。

今回は「黒魔術の世界」シリーズ第2弾として、

「悪魔祓い」という視点から、
一流の黒魔術師とは何者なのか?

について考えてみたいと思います。

なお、この記事は、
前回の「悪魔召喚」の記事と関連しています。

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まだ読んでいない方は、先にこちらを読んでいただくと、
今回の記事をより深く楽しめると思います。

※怖い話やオカルトが苦手な方は、
ここでページを閉じても大丈夫です。

それでも知りたい方は、この先へどうぞ。

「悪魔を呼べる人」より、「悪魔を追い払える人」

まず、ここで一つ考えてみてください。

もし、

「悪魔を呼び出せる人」

と、

「悪魔を呼び出したあと、何か問題が起きても対処できる人」

がいたとしたら。

あなたは、どちらを本物の魔術師だと思いますか?

私は後者だと思っています。

なぜなら、

力を使えることと、力を制御できることは別だからです。

たとえば、車を運転できる人がいたとしても、

「アクセルを踏める」

だけでは運転が上手いとは言えません。

止まれなければ危険です。
曲がれなければ危険です。

事故が起きたときに対処できなければ、
さらに危険です。

魔術も、それに少し似ています。

「呼び出せる」

だけでは足りない。

「止められる」ことまで含めて、技術なのです。

だから、黒魔術の世界にはこんな格言があります。

一流の黒魔術師は、一流のエクソシストでもある

今回は、この言葉について考えてみましょう。

そもそも「悪魔祓い」とは?

悪魔祓いとは、
その名の通り、悪魔を追い出す儀式です。

キリスト教では、
悪魔祓いを行う聖職者を「エクソシスト」と呼びます。

映画『エクソシスト』によって、
その存在を知った方も多いのではないでしょうか。

映画ではかなり恐ろしい描写がありますが、

現実の悪魔祓いは、
宗派や教会、状況などによって考え方や手順が異なります。

ここではあくまでも、
オカルト思想の一つとして見ていきます。

キリスト教の悪魔祓いでは、

「神の力によって悪魔を退ける」

という考え方が基本になります。

そのため、聖水や十字架、聖書、聖油など、
「聖なるもの」が用いられます。

大まかに言えば、

  • 神の加護を求める
  • 悪魔の存在を確認する
  • 悪魔に退去を命じる

という流れになります。

ただし、実際の儀式の流れは
宗派や教会によって手順が異なりますし、

状況に応じて儀式の流れも変わるので、
ここで紹介したものがすべてではありません。

悪魔祓いは「根比べ」

ここが、とても重要なところです。

悪魔祓いというと、

「聖水をかければ悪魔が逃げる」
「十字架を見せれば悪魔が苦しむ」

というイメージを持つかもしれません。

もちろん、そうした象徴的な道具は重要です。

しかし、本質的には、

「術者自身が最後まで自分の意志を保てるか」

という部分が非常に大きいのではないでしょうか。

恐怖。
混乱。
疑念。

疲労。
プレッシャー。

そうしたものに飲み込まれてしまえば、
儀式を続けることそのものが難しくなります。

だから悪魔祓いは、ある意味で、

「根比べ」

なのです。

どちらが先に折れるのか。
どちらが最後まで自分の意志を保てるのか。

もちろん、これはオカルト思想としての見方です。

しかし、私はここに
非常に興味深いものがあると思っています。

黒魔術師も「悪魔祓い」ができなければならない

では、黒魔術師はどうでしょうか?

黒魔術においても、悪魔などの存在を扱う場合には、
術者自身を守るための準備が重要になります。

前回の記事でも書いたように、

魔法円や魔法三角などを用いて、

「自分」と「呼び出した存在」の間に境界を作る

という考え方があります。

これは非常に重要です。

なぜなら、

「呼び出した存在が、必ず自分の言うことを聞く」

とは限らないからです。

万全の準備を整え、正しい手順で儀式を行ったとしても、
予想外の事態が起こる可能性は完全に否定できません。

そこで必要になるのが、

「制御する力」

です。

そして、
もし制御できなくなったのであれば、

「追い払う力」

が必要になります。

つまり、

悪魔召喚と悪魔祓いは、実は正反対の技術ではありません。

むしろ、

表裏一体なのです。

「呼ぶ技術」だけでは、一流とは言えない

ここで、私は一つの問いを投げかけたいと思います。

もし、

「悪魔を召喚する方法」

だけ知っている人がいたら。

その人を、一流の黒魔術師と呼べるでしょうか?

私は、呼べないと思います。

なぜなら、

「呼ぶ」ことよりも「制御する」ことのほうが難しいからです。

そして、

「制御できなくなったときに、終わらせられる」

ことまでできて、

初めて本当の意味で力を扱えるのではないでしょうか。

これは魔術だけの話ではありません。

たとえば、

お金を稼ぐことができても、
お金に振り回されてしまえば苦しくなる。

人を惹きつける魅力があっても、
人を支配したくなれば人間関係は壊れる。

SNSで影響力を持っても、
数字に心を支配されれば自分を失ってしまう。

知識があっても、
その知識を使って人を傷つければ、
それは「知恵」とは言いにくい。

力は、持つことよりも扱うことのほうが難しい。

私は黒魔術というテーマから、そのことを強く感じます。

悪魔は「弱さ」を突いてくる

オカルト思想において、
悪魔は人間の弱みに入り込む存在としても描かれます。

そして、これは非常に象徴的です。

人間には誰にでも弱いところがあります。

認められたい。
愛されたい。

お金が欲しい。
勝ちたい。

復讐したい。
誰かより上に立ちたい。

自分の価値を証明したい。

こうした欲望そのものが悪いわけではありません。
むしろ、欲望は人間を動かす強いエネルギーでもあります。

問題は、

その欲望を自分で扱えるかどうか。

です。

欲望を持つことと、
欲望に支配されることは違います。

だからこそ、
悪魔と対峙する術者には強い精神力が必要になる。

「自分は何を望んでいるのか?」
「なぜ、それを望むのか?」

「それを手に入れるために、どこまでやるのか?」
「もし願いが叶わなかったら、自分はどうするのか?」

そうした問いから逃げることはできません。

本当に怖いのは「悪魔」ではない

ここまで読んで、

「やっぱり悪魔って怖いな」

と思ったかもしれません。

もちろん、オカルトとして見れば怖いテーマです。

でも、私はもっと怖いものがあると思っています。

それは、

自分自身の欲望です。

悪魔という存在を信じるかどうかは、
人によって違うでしょう。

けれど、

「もっと欲しい」
「もっと認められたい」

「絶対に負けたくない」
「自分を傷つけた人間を許せない」

という気持ちは、誰の中にも起こり得ます。

そして、その感情が大きくなりすぎたとき、

人は自分でも想像していなかった行動を取ることがあります。

だからこそ、

「悪魔に勝つ」ということは、
自分の中にある影に飲み込まれないこと

でもあるのだと思います。

一流の黒魔術師に必要なのは「覚悟」

黒魔術師というと、

「強力な魔術を知っている人」

というイメージを持つかもしれません。

しかし、私はそれだけではないと思っています。

本当に必要なのは、

知識。
技術。
精神力。

そして、

覚悟。

さらに、

「やらない」という判断力。

これも非常に重要です。

できるから、やる。

ではない。

できるけれど、やらない。

それもまた、力なのです。

黒魔術に限らず、
力を持つ人ほど「使わない」という選択ができます。

逆に、

「せっかく力を手に入れたんだから使わなきゃ」

と思ってしまうなら、
すでに力に振り回されているのかもしれません。

「一流の黒魔術師は、一流のエクソシスト」なのだと思う

ここで、最初の言葉に戻りましょう。

一流の黒魔術師は、一流のエクソシストでもある

これは単純に、

「悪魔を呼べる人は、悪魔を追い払う技術も持っている」

という意味だけではないと思います。

もっと深いところでは、

「自分が扱う力を、自分自身で終わらせることができる人こそ、
本当に力を扱える人である」

ということなのではないでしょうか。

召喚する。
制御する。
必要なら追い払う。

そして、最後には自分自身を日常へ戻す。

この一連の流れを、自分の意志で完結させる。

だからこそ、

「呼べること」より
「終わらせられること」のほうが重要なのです。

そして、これは現実の人生にも通じる

私は、この話を
単なるオカルトの話として終わらせたくありません。

なぜなら、
私たちの日常にも「悪魔」は存在するからです。

もちろん、ここでいう悪魔は比喩です。

SNS。
お金。

恋愛。
承認欲求。

仕事。
権力。
成功。

どれも、使い方次第では人生を豊かにしてくれます。

でも、使われる側になってしまえば、
人生を苦しくすることもあります。

「もっと、もっと」

と欲しくなってしまう。

数字が落ちると不安になる。

誰かに認められないと、
自分に価値がないように感じる。

お金が増えても安心できない。

恋人に愛されても、
もっと愛してほしくなる。

これもある意味では、

「自分の欲望に支配されている状態」

と言えるのではないでしょうか。

だから、黒魔術の話は
意外と私たちの日常から遠くありません。

最後に

私はオカルト研究者であり、
術師でもあります。

だからこそ、
黒魔術や悪魔召喚というテーマを
頭ごなしに否定するつもりはありません。

そこには長い歴史があり、

「欲望とは何か」
「力とは何か」
「人間は自分自身をどこまで制御できるのか」

という、とても深い問いがあります。

ただし、

面白半分で悪魔召喚をすることは、
おすすめしません。

特に、

「これさえやれば願いが叶う」
「悪魔にお願いすれば簡単に人生が変わる」

というような考え方には、
少し立ち止まってほしいと思います。

本当に問われているのは、

「悪魔を呼べるか?」

ではありません。

「自分の欲望を、自分で扱えるか?」

です。

そして、

「力を手に入れても、
その力に自分の人生を明け渡さないでいられるか?」

です。

もし、それができないのであれば、
悪魔を呼ばなくてもいい。

むしろ、呼ばないほうがいい。

一流の魔術師とは、
たくさんの術を知っている人ではなく、

自分自身を制御できる人なのかもしれません。

そして私は、

一流の黒魔術師は、一流のエクソシストでもある

という言葉の本当の意味は、
そこにあるのではないかと思っています。

悪魔に勝つ前に、
まず自分自身の「影」と向き合う。

それができないうちは、

どれほど強力な魔術を知っていたとしても、
その力を扱う準備はできていないのかもしれません。

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