「今日という日は、二度と来ない」―ヒグラシの声を聞いて、ふと思ったこと

こんにちは。御統いつきです。

今回は、今年のお盆休み中に
ふと思ったことをエッセイにしてみました。

お時間のあるときにでも、
よかったら、そっと読んでみてください。


今年のお盆休みのある日、
関東のとある県にある、ひとつの和菓子屋さんへ行った。

画像はイメージです

特別な用事があったわけではない。

ただ、なんとなくそのお店に行って、
和菓子をいくつか買った。

買い物を終えて、駅へ向かうバスを待っていた。

そんな、
どこにでもありそうな一日の一場面だった。

けれど、そのとき。
ふと、懐かしい声が聞こえてきた。

ヒグラシだった。

ヒグラシの声で、昔の夏を思い出した

都会で暮らしていると、
ヒグラシの声を聞く機会は、
昔よりずっと少なくなった気がする。

だから、その声を聞いた瞬間、
少しだけ時間が戻ったような感覚になった。

子どもの頃に過ごした田舎の風景。

海水浴で行った海の匂い。
優しい波の音。

夕方の少し涼しくなった空気。
遠くから聞こえてくる蝉の声。

何をするでもなく過ごしていた、
あの頃の時間。

そんな記憶が、
ヒグラシの声と一緒にふっと浮かんできた。

懐かしかった。
でも同時に、少し寂しかった。

あの頃には、もう戻れない。

あの景色も。
あの時間も。
あのときの自分も。

もう二度と、同じ形では戻ってこない。

そう思ったとき、ふと、こんなことを考えた。

「今日」という日も、同じなんだな。

今日という日は、明日になれば「昨日」になる。

そして、一度昨日になった今日が、
もう一度やってくることはない。

いつもの場所も、同じではない

和菓子を買った帰り、
私はお気に入りのバーへ飲みに行った。

何度か訪れている、好きな場所だ。

店内の風景は、ほとんど同じだった。

いつものカウンター。
いつもの照明。
見慣れたダーツ台。
いつものように流れている音楽。

だから、一見すると、
いつもと何も変わらないように見える。

でも、少し違った。

お盆休みだったからか、
普段ならあまり遭遇しないお客さんがいた。

たまにしか来ない店員さんもいた。

そして私自身も、
前に来たときとは違うお酒を頼んでいた。

店は同じ。
カウンターも同じ。
照明も同じ。
ダーツ台も同じ。

なのに、その日の時間は、
前に来たときとはまったく違っていた。

そのことが、なんだか不思議だった。

店が変わったわけではない。
変わったのは、そこに流れている時間だった。

そしてたぶん、時間だけじゃない。

その場所を見ている私自身も、
前に来たときとは少し違っていた。

「いつもの場所」なのに、「いつもの日」ではない。

そこで、また思った。

同じ一日なんて、本当は一日もないのかもしれない。

私たちは「今日」を後回しにしてしまう

普段の生活では、
そんなことをほとんど意識しない。

朝起きて。
仕事をして。

誰かと話して。
ご飯を食べて。

スマホを眺めて。
眠る。

そしてまた明日が来る。

毎日が繰り返されているように感じる。

だから、

「今日は普通の日だったな」

と思ってしまう。

でも、本当は違うのかもしれない。

昨日と今日では、空気が違う。

自分の気持ちも違う。
出会う人も違う。
見える景色も違う。

そして何より、

昨日の自分と今日の自分は、まったく同じではない。

それなのに私たちは、
今日を簡単に「いつもの一日」と呼んでしまう。

「仕事が落ち着いたら、好きなことをしよう」
「もう少し余裕ができたら、会いに行こう」

「今は忙しいから、また今度」
「明日からちゃんとしよう」

そんなふうに、
未来のために今日を後回しにしてしまう。

もちろん、それが悪いわけではない。

未来を考えることも大切だし、
頑張らなければいけない時期もある。

ただ、未来のために今日を使い続けていると、
気づかないうちに、

「今日を生きる」ということを忘れてしまうことがある。

「また今度」は、本当に来るのだろう

昔の自分を振り返ると、

「また今度でいいか」

と思っていたことがたくさんある。

疲れているから、また今度。
忙しいから、また今度。
今じゃなくてもいいから、また今度。

そのときは、本当にそう思っていた。

また会えると思っていた。
また同じような時間があると思っていた。
また同じ季節が来ると思っていた。

でも、あのときヒグラシの声を聞いて思った。

季節は、同じように巡っているように見えても、
「あの日の夏」がもう一度やってくることはない。

夏はまた来る。
蝉も鳴く。
夕暮れもやってくる。

けれど、

子どもの頃の自分が聞いたヒグラシの声と、
あのときの自分が聞いたヒグラシの声は、

同じではない。

景色が違う。
自分が違う。
時間が違う。

だから、あの瞬間は一度しかなかった。

そう考えると、
何気ない一日が少しだけ愛おしく見えてくる。

「今日を大切にする」は、頑張ることではない

だからといって、

「一日一日を大切にしよう」

と、自分を追い込む必要はないと思う。

朝から予定を詰め込んで、毎日を充実させて、
夢に向かって努力して、一秒も無駄にしない。

そんな生き方だけが、
「今日を大切にする」ということではない。

何もしない日もある。
疲れて、ずっと眠ってしまう日もある。

泣いてしまう日もある。
何をしてもうまくいかない日もある。

誰かに優しくできない日もある。

そんな日だって、ちゃんと「今日」なのだ。

今日という日は、
何かを成し遂げた人だけに与えられるものではない。

頑張った人だけが受け取れるものでもない。

何もできなかった自分にも、
今日という日はちゃんと与えられている。

だから、

今日を大切にすることは、
今日を完璧にすることではない。

その一日を、

「これも私の人生の一日だった」

と受け止めてあげることなのかもしれない。

今日の自分に、今日しか言えない言葉

もし今日、思うように過ごせなかったとしても。

「もっと頑張ればよかった」と、
自分を責めなくていい。

今日の自分に、

「よく頑張ったね」

と言ってあげてもいい。

何もできなかったなら、

「今日はもう休もう」

でもいい。

誰かに優しくできなかったなら、

「明日は少し優しくできたらいいね」

でもいい。

今日という日は、
今日の自分にしか寄り添えない。

昨日の自分に、
今日の言葉を届けることはできない。

明日の自分に、
今日の温度をそのまま渡すこともできない。

だからこそ、

今日の自分を、今日のうちに大切にしてあげる。

それだけでも、十分なのだと思う。

季節は、時間の尊さを教えてくれる

季節が変わっていくのを見ると、
時間は止まらないのだと気づかされる。

春が来て。
夏になって。

秋が深まり。
冬がやってくる。

そしてまた春になる。

同じように巡っているように見えるけれど、
一度過ぎた季節は、同じ形では戻ってこない。

去年の夏と、今年の夏は違う。
去年の自分と、今年の自分も違う。

だから、季節の移り変わりは、

「今日」という時間が二度と来ないことを教えてくれている

のかもしれない。

あのとき聞いたヒグラシの声も、
いつか記憶の中の一場面になる。

あのとき買った和菓子も、
いつか「あの日食べたもの」になる。

そして今日という日も、
いつか過去の中の一日になる。

そう思うと、
何でもない一日が、少しだけ特別に見えてくる。

今日を大切にするために

人生を変えるような大きなことをしなくてもいい。

今日という一日を、
ほんの少し丁寧に過ごしてみる。

いつもよりゆっくりご飯を食べる。
空を見上げる。

季節の匂いを感じる。
好きな音楽を聴く。

大切な人に「ありがとう」と伝える。
疲れているなら、ちゃんと休む。

そして眠る前に、

「今日も一日、お疲れさま」

と自分に言ってあげる。

そんな小さなことでもいい。

なぜなら、人生は
大きな出来事だけでできているわけではないから。

何でもない朝。
何気ない会話。

ふと感じた風。
季節の匂い。

誰かの笑顔。
一人で過ごした静かな時間。

そういう小さな瞬間が積み重なって、
あとから振り返ったとき、

「あれも自分の人生だったんだな」

と思えるのだと思う。

今日という日は、二度と来ない

あのとき、ヒグラシの声を聞いて、
子どもの頃を思い出した。

懐かしかった。
そして、少し寂しかった。

でも、その寂しさがあったからこそ、
今ここにある時間の大切さにも気づけた。

過去には戻れない。

あの頃の夏にも戻れない。
昨日という日にも戻れない。

でも、だからこそ、今日がある。

今日という日は、
どんな日であっても、一度しかない。

嬉しい今日も。
悲しい今日も。

何もできなかった今日も。
うまくいかなかった今日も。

誰かと笑った今日も。
ひとりで静かに過ごした今日も。

全部、二度と来ない一日なのだ。

だから、今日を完璧に過ごせなくてもいい。

人生を無駄にしたわけでもない。

何かを成し遂げられなかったとしても、
今日という時間を生きたことまで、
なかったことにはならない。

もし今、

「今日も何もできなかったな」

と思っている人がいるなら、
少しだけ自分に優しくしてあげてほしい。

今日のあなたは、今日のあなたなりに、
ここまで生きてきた。

それでいい。

そして、まだ今日が残っているのなら。

ほんの少しだけ、
自分に優しい時間を使ってみよう。

温かいものを飲んでもいい。
好きなものを食べてもいい。

窓の外を眺めてもいい。
何もしなくてもいい。

ただ、

「今日という日は、もう二度と来ないんだな」

と、静かに感じてみる。

そうすると、いつもの一日が、
ほんの少しだけ違って見えるかもしれない。

今日を大切にすることは、人生を大切にすること。

そして、

今日を大切にできない自分さえも許すこと。

そのどちらも、
きっと人生には必要なのだと思う。

今日という日は、二度と来ない。

だからこそ、今ここにある時間を、
ほんの少しだけ愛してあげよう。

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