
こんにちは。御統いつきです。
今回は、以前受けた
とあるヒーリングセッションをきっかけに、
「本来のスピリチュアルってなんだろう?」
と考えたお話です。
私はスピリチュアルが嫌いになった
今から8年くらい前の話です。
当時の私は、安月給の派遣社員でした。
家賃を払って、生活費を払って。
それだけでも
そんなに余裕があるわけじゃないのに、
そこにコンサル費150万円の
返済も残っていました。
そもそも、なんで
そんなコンサルを受けたのかというと、
「お金・時間・場所の自由が欲しい」
と思ったからなんですよね。
もっと自由に生きたかった。
好きな場所で働きたかったし、
お金のことを心配する生活から抜けたかった。
だから、思い切ってお金を払った。
人生を変えたかったんです。
……でも、思ったようにはいかなかった。
毎月、給料は入ってくる。
でも、そのお金は家賃と生活費、
コンサル費の返済で、どんどん消えていく。
仕事もしんどい。
でも、辞めたら生活できない。
じゃあ、どうするの?
働くしかない。
でも、働いても楽にならない。
「これ、いつまで続くんだろう…」
そんなことを、ずっと考えていました。
身体も疲れていたし、
気持ちもかなり追い詰められていたと思います。
「私、このままなのかな…」
「何かがおかしいんじゃないかな…」
「どうしたら、ここから抜け出せるんだろう?」
そんなことばかり考えていました。
もちろん、現実的なこともやりました。
転職を考えたり、
収入を増やす方法を探したり。
でも、なかなか出口が見えない。
それで、だんだん、
「もしかしたら、
私がまだ気づいていない
原因があるのかもしれない」
と思うようになったんです。
そこで、今まで学んできたスピリチュアルとか、
ヒーリングに可能性を求めるようになりました。
別に、ものすごい奇跡を
起こしてほしかったわけじゃないし、
特殊能力が欲しかったわけでもない。
ただ、この苦しさから抜けたかった。
本当に、それだけだったんです。
ところが。
そこで受け取ったものが、
私が思っていた「癒し」とは、違っていました。
いや。
「ちょっと違っていた」というより…
かなり引っかかったんですよね。
「なんで私、こんなに苦しいのに、
さらに責められてるんだろう?」
そんな感じでした。
そして、この違和感がずっと残りました。
今振り返ると、
この違和感があったからこそ、
私はその後、いろんなことを
考えるようになったんだと思います。
「感謝しないと、お金は来ないよ」
当時、私が一番悩んでいたのは、
やっぱりお金と仕事のことでした。
安月給の派遣社員。
仕事はしんどい。
生活にも余裕がない。
そこに150万円の返済まである。
しかも、
「お金・時間・場所の自由が欲しい」
と思って始めたことが、
結果的に自分を苦しめる原因の一つになっている。
今考えると、なかなか皮肉ですよね。
でも、そんな状態でも私は、
「私の中に何か原因があるのかもしれない」
と思っていました。
お金のブロックがあるのかもしれない。
豊かさを受け取れない思考があるのかもしれない。
だったら、そこを何とかしたい。
そう思って、豊かさに関する
ヒーリングを受けることにしました。
正直、期待していました。
「何か原因が分かるかもしれない」
「豊かさのブロックを外せるかもしれない」
「これをきっかけに、現実が変わるかもしれない」
そんな気持ちで、
そのセッションを受けたんです。
そして、その場で私は、
今まで溜め込んでいた感情を一気に吐き出しました。
怒り。
悔しさ。
虚しさ。
諦め。
「どうして、こんなに頑張っているのに、
うまくいかないの…?」
という気持ち。
「もう何をやっても無駄なんじゃないか…」
という絶望。
たぶん、相当溜まっていたんだと思います。
それを全部、吐き出した。
そして、そのときにヒーラーから言われたのが、
「あなた、今怒りしかないでしょ?
感謝しないとお金は来ないよ」
という言葉でした。
その瞬間、「は?」ってなった。
「いや、今それ言う?」って。
私は、お金がなくて苦しくて、
仕事もしんどくて、返済もあって。
何とかしたくて、ここに来て。
今まで誰にも言えずに溜めていたものを、
やっと吐き出して。
その私に、
「感謝しないとお金は来ない」
って言うの?
心の中では、
「ふざけんなよ!」って思っていました。
本当はテーブルを蹴っ飛ばして、
「お前、なめてんのか!?」
って言いたいくらいムカついていた。
……まあ、実際には
そんなことしませんでしたけど。

もちろん、その人に
悪意があったとは思っていません。
その人なりに、
私を良くしようとしてくれたんだと思います。
「感謝」という考え方そのものを
否定したいわけでもない。
感謝することが悪い、
と言いたいわけでもないんです。
ただ。
あのときの私には、
その言葉がこう聞こえたんですよね。
「あなたがお金に困っているのは、
あなたが感謝できないからですよ」
って。
いや、違う!
私は、そんなことを言ってほしくて
ここに来たんじゃない!
今にも沈みそうな人間に、
「もっと感謝しなさい」
と言われているような感じだった。
私は救われたかった。
説教されたかったわけじゃない。
どうしたらいいのか知りたかった。
ここから抜け出す方法が欲しかった。
なのに、帰る頃に残っていたのは、
「苦しいのは、
私が感謝できないからなの?」
という気持ちでした。
そして、
「じゃあ、今日、
私は何を持って帰ったんだろう?」
と思った。
お金の問題は何も変わっていない。
仕事もそのまま。
返済もある。
なのに、そこに今度は、
「私の感謝が足りない」
という話まで乗っかってきた。
しかも、セッション料金は2万円。
当時の私にとっては、払えるけど
決して安い金額じゃありませんでした。
「私、何しに来たんだろう…?」
って、本当に思いました。
あのときの違和感は、
何年経っても消えなかった。
むしろ、時間が経つほど
大きくなっていったんです。
「癒し」って、一体なんなんだろう?
あの経験があってから、
私はスピリチュアルそのものについて
考えるようになりました。
ずっと引っかかっていたんです。
「癒しって、なんなんだろう?」
気持ちが軽くなること?
前向きになること?
心が穏やかになること?
もちろん、それは大事だと思う。
私だって、心が楽になることは
すごく大切だと思っています。
でも。
家賃が払えない人に、
「考え方を変えましょう」
と言ったら、家賃は払えるのか?
仕事がなくて困っている人に、
「宇宙を信頼しましょう」
と言ったら、明日から仕事が見つかるのか?
借金を抱えている人に、
「お金への執着を手放しましょう」
と言ったら、請求書が消えるのか?
……んなわけない。
もちろん、心の持ち方が変わって、
それによって現実への向き合い方が
変わることはあると思います。
それは私も否定しない。
でも、心だけを見て、現実を見ない。
それって、何か大事なものが
抜けてるんじゃないか?
私は、だんだんそう思うようになりました。
そして、自分の中で、
ある種のスピリチュアルを
「骨抜きスピリチュアル」
と呼ぶようになった。
精神論だけが残っていて、
「じゃあ、どうやって現実を変えるの?」
というところが抜けている。
そういうものに対する違和感でした。
だって、本当に苦しいときって、
気持ちだけじゃどうにもならないことも
あるじゃないですか。
お金が必要なら、
お金の問題にも向き合わなきゃいけない。
仕事がしんどいなら、
働き方を変えることも考えなきゃいけない。
環境が苦しいなら、
環境そのものを変える必要があるかもしれない。
もちろん、全部がそんなに簡単じゃない。
私自身、
すぐに変えられたわけじゃありません。
だからこそ、
「心を整えれば全部うまくいく」
みたいな話だけでは、
どうしても納得できなかったんです。
それでは、本当の意味で
人を救うことはできないんじゃないか?
私は、そう思うようになりました。
じゃあ、
私が考える「本来のスピリチュアル」って、
どんなものなんだろう?
願うことって、
本当に悪いことなんだろうか?
豊かになりたいと思うことは、
執着なんだろうか?
「もっと自由に生きたい」と思うことは、
そんなにいけないことなんだろうか?
あの頃の私は、
そんなことをずっと考えていました。
そして、その先で。
今までの私とは、
ちょっと違う世界に出会うことになります。
その話は、ここから少し深くなっていきます。
まとめ
あのとき私は、
「感謝しないと、お金は来ないよ」
という言葉に、深く傷つきました。
苦しくて、どうにか現実を変えたくて
助けを求めているのに、
「感謝できない自分が悪いの?」
「この苦しさも、
自分が引き寄せたものなの?」
と、さらに自分を責めることになったからです。
でも、何年も時間が経ってから
思うようになりました。
もしかすると、私が違和感を抱いたのは、
「感謝」という言葉
そのものではなかったのかもしれない。
本当に欲しかったのは、
苦しさをなかったことにするための言葉ではなく、
「あなたが苦しいと思っていることも、
ちゃんと大切にしていい」
と言ってもらうことだったのだと思います。
そしてそこから私は、
「癒しって何だろう?」
「願いを叶えるって、
どういうことなんだろう?」
「スピリチュアルは、
本当に人を救えるのだろうか?」
そんなことを、
ずっと考えるようになりました。
その先で、
私なりに見つけた答えがあります。
もし、あのときの私と同じように、
「綺麗な言葉では救われなかった」
「願いを持つことまで否定されたくない」
と感じたことがあるなら。
よかったら、こちらも読んでみてください。

あの違和感の続きを、
そして私がそこから考え続けてきたことを、
少し深く書きました。



コメント